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ウルバヌス4世 (ローマ教皇) : ウィキペディア日本語版 | ウルバヌス4世 (ローマ教皇)[うるばぬす4せい]
ウルバヌス4世(Urbanus IV,1195年 - 1264年10月2日)はローマ教皇(在位:1261年 - 1264年)。フランス・シャンパーニュのトロワ出身で、本名はジャック・パンタレオン(Jacques Pantaléon)。 靴職人の子として生まれ、パリで神学と法学を学び、リエージュの副司祭を務めた後、第1リヨン公会議に参加してインノケンティウス4世の目に留まり、1249年、プロイセンに派遣されドイツ騎士団とプロイセン人の間に条約を締結した。1253年、ヴェルダン司教に任命、1255年にはアレクサンデル4世にエルサレム主教に任命された。1261年のアレクサンデル4世の死後に教皇に選出、ウルバヌス4世を名乗った。 イタリアはシチリア王国と神聖ローマ帝国を治めていたホーエンシュタウフェン朝と教皇との対立の場となり、都市国家と貴族もそれぞれ教皇派と皇帝派に分かれて抗争を続けていた。ウルバヌス4世はシチリア王マンフレーディを討ち取る為にフランス王ルイ9世の弟・シャルル・ダンジューを1263年7月にシチリア王に封じた。しかし、シャルルが準備に手間取る間にマンフレーディが中部イタリアへ侵攻、ウルバヌス4世はペルージャへ避難したが、そこで死亡した。打倒ホーエンシュタウフェン朝の願いは次の教皇クレメンス4世に託される事になった。 外交では東ローマ帝国皇帝ミカエル8世パレオロゴスとアカイア公ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアンの講和に尽力した。また、タンホイザー伝説の登場人物の1人に数えられている。
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